SNSからも友人からも影響を受けまくる日々

スマホが手放せない。食事中もトイレに行っている時も何かしら読んだり調べたり。最初のうち、これは現実逃避の手段なのだと思っていたけど、それもあるけれどもこれがあるから余計疲れるんじゃないか。

節約を頑張っている人のブログ、ミニマリストのこれ買ってよかった紹介、ワーママの奮闘、夫の愚痴、育児のほっこりエピソード、本の紹介。元々読むことが好きなのもあって読むものに困らない。視野や関心を広げてくれる素晴らしいツールである一方、隣の芝が青く見えすぎて勝手に落ち込んだり、共感しすぎて怒りが湧いたり、全く買うつもりがなかったものを買ってしまったりと忙しい。

SNSと距離をおけば他のことに時間を使えるし、散財も減るのではないか。そこで、必要な調べ物以外スマホ使わないよう意識し生活してみた。

 

 

するとびっくり。

 

手持ち無沙汰な時間がとても増えた。特に夕方になると疲れているので本を読んだり何か頭を使うことをするのが難しい。必然テレビを見るか子供とダラダラするか。SNSは気力がなくてもできるのだから、疲れていないときは他のことをするのが得策だなと思った。

 

話は変わるが、先日知り合いのお母さんにランチに誘われ行ってきた。コロナの影響もあり私の人徳もありこういうのはとても久しぶり。おしゃれなカフェでゆったりとランチ、とても贅沢な時間だった。幼稚園のお迎え時間まで喋りまくった。

そして私の心に残ったのはそのお母さんのアクティブな行動力、人望に対する憧れと、なんで自分はこうなんだろうという劣等感、つまり影響を受けまくったのである。

人に会うのは引きこもっているよりとても健全で良い体験だと信じていたが、結局SNSを見ているのと同じ、いや知り合いからの影響力の方がずっと現実的で大きい。すごく落ち込んだというわけではないが、様々なものから影響を受ける私のような人間は、スマホからも人付き合いからも程よい距離をとる必要がある、ということを再認識した。

 

ちなみに、そのお母さんから一番影響を受けたのは、働くことに関して。自分も仕事を再開しようかと具体的に考え出した。もちろんここからは自分の責任たが。劣等感からのスタートだがマイナスのモチベーションの方が私は動ける気がする。

集団の中で感じる孤独について

先日子供の幼稚園帰りに近くの公園に立ち寄った。梅雨の晴れ間で、いつもよりたくさんの子供と親が来ていた。ほとんどが同じ幼稚園の人たちで、子供同士も気ごころが知れているので楽しそうに走り回っている。お母さん同士も立ち話。最初は私も加わって話していたのだが、なんというか、、、途中息子に呼ばれてブランコを押すのを手伝ったり、手を洗わせたりして抜けたせいもあるけど、だんだん自分以外のお母さんたちがそれぞれに深い話をしているような雰囲気になった。2~3人がそれぞれ3組くらい。私は途中で会話に少し入っては抜けてという感じで誰ともあまり話していない。自分以外の人たちがそれぞれにとても親睦を深めている感じ。もちろん子供の世話をするために付き添っているのだし、息子は他の子供たちよりも親のアテンションを求めがちではある。でもこの疎外感みたいなものは子供のせいだけではない気がする。

 

ある時は学生時代の友人6人プラス友人の赤ちゃんでランチをした。そこでも感じたのは「自分以外のみんな、仲良しだな~」ということ。私はその友人達と会うのがとても久しぶりだけど、友人達は個別に頻繁に会ったりしていてそれが会話で伝わってくる。自分はマメに連絡を取るタイプではないので仕方ないが、自分あとから「加えてもらっている感」が否めなかった。楽しかったからよいのだけど、少しだけ孤独を感じた。

 

思い返せば、自分はこの「集団での疎外感」みないなものを感じがちだ。クラス替えの直後、みんなと当たり障りなく話すけどどこの輪にも入れない。飲み会で気が付くとどの会話にも参加していない、みたいな。どうしてそうなりがちなの考えてみると・・・

1)そもそもあまり人に興味がない                

なのに「ママ友とBBQ」や漫画やドラマみたいな友情に憧れたりして、勝手に劣等感をい感じている。興味が薄いので親睦を深めたいとかマメに連絡を取ろうとか思わない、それが相手にも伝わるのではないか。

2)会話に多くを求めすぎ 

話すからには実りある会話をと思いお互いのハードルを上げてしまったり、ためになる情報を交換したいと思ってしまう。面白くないと勝手に心のなかで失望してしまったり・・・。

3)本当にみんな心から楽しんでるのか  

少なくとも外見上は楽しそうに見えるけど、大した会話はしてないのかもしれない。くだらないやり取りを楽しんでいるのだろうな。私もそれでいいのだと思いつつ、自分から面白い話題を振っていけるように普段から自分で物事を考え自分の意見を持っておくようにしたい。

 

最後に、うちの息子たちを見ていると、本当に自由気ままで、友達の輪に一瞬入ったかと思うと一人で好きに遊んで「これみんなといる意味ある??」と親としては心配になるのだけど、息子が楽しければそれでいいんだよな。私も自分か快適ならそれでいいはず。

考えられる人になりたい。

私は基本いつもぼーっとしている。ぼーっとすることは全く意識しなくてもできる。何もしていないとき、気が付けばぼーっとしている。みんなも大体そうだと思っていた。しかし、知人によると頭の中をずっと思考が流れていて、ゲームをしたり映画を見たりと無理やり別のことをしないと脳が休まらないのだとか。また、うつ病になってしまい、何も考えずにぼーっとするよう言われたけどどうしたらよいかわからないという人のもいた。

ぼーっとするのもできる人とできない人がいるのか。さらには思考が止まらない人が全員そうではないと思うが、「考えるのが好き」という人。私は「よし、考えよう!」とスイッチを入れないと考えるモードにならないので、それが好きとか得意とは言えないなあと思う。

 

そんな私であるが、会話の中でこれは本当に自分の意見だろうか?どこかで聞いた話や読んだ話をそのまま引用しているだけの上っ面な話だな・・・と思うことがある。なにより周りの意見に流されがちなのは、自分で考える力が足りないからではないかと痛感している。ちなみに夫は上記「思考が止まらない人」で常にいろいろ考えている、考えてきた人なので、議論すると勝てない。別に勝たなくてもいいのだけど例えば子供の教育方針などで揉めたとき、私は常にフィーリングなので何というか建設的な話し合いにならないのだ。夫も話してておもしろくないだろう。

 

「自分で考えること」で自分軸の価値観を持ちたい。それが一番流されずに楽しく毎日を過ごせそうだからだ。本を参考にして「思考する時間」を意識したり、本当は自分はどう思うのか?と本音を突き詰めたり、思考するのが好きな人と会話したりして少しずつぼーっとする時間もいいけど、「考えるのって楽しい」と思えるようになるのが理想だ。

雨の日は送迎だけで一苦労

雨の日は憂鬱だ。朝起きて、あー雨か、と思う。

いつも通りの朝の支度をして、スクールバックにビニール袋をかける。息子二人にレインコートを着せ、レインブーツをはかせる。ヘルメットを被せる。自分もレインコートを着る。子供は雨がうれしくてはしゃいで走りまわっている。それを捕まえて自転車の前後に乗せる。自分も乗ってゆっくり出発。レインコートに帽子はついてるけど雨が眼鏡にかかる。レインコートに自転車なんて高校時代以来だ。

 

我が家では幼稚園の送迎は自転車一択。徒歩で通うには少し距離があり、車は持っていない。電動自転車の前後に子供を乗せて送迎する光景はうちの周りでは一般的だ。しかし、雨の日は特に視界も悪くいつも以上に慎重になる。途中には車通りが多い交差点や狭い道ばかり。こんな時、私は2人の命を預かっているんだ、今日も無事2人を生かすのが仕事なんだ、責任重大だと思う。大げさかもしれないが。

子供を無事送り届け、また顔を雨で濡らしながら帰宅。玄関のドアを開けレインコートを脱ぎ、眼鏡や足回りを拭いてほっと一息。屋根があるってスバラシイ。すぐにお迎えもあるけどネ。

 

思えば子供が生まれるまで、こんなに天候に生活が左右されることはなかった。雨だというだけで送迎だけでぐったり、晴れの日とは疲労度が違う。買い物も子づれでは行く気になれない。もうこんな日はあきらめてだらだらのんびりしよう。私、おつかれ。

                                     

こころのつぶやき

小学6年生のころ担任が、「決まった時間である程度まとまった文章を書く練習をしましょう」と言って、毎日帰りの会の手前くらいに日記みたいなものを書く時間があった。

タイトルは「こころのつぶやき」。テーマは何でもよく、自由に書ける。時間は15分。はい、はじめで皆が一斉に書きはじめる。その日あったことや考えたことを書けばよいのだが、何せ毎日のこと、ネタが思いつかなったり、うまく書こうと思うと時間がたりない。わら半紙のマスの文字数は覚えていないが、私はいつも紙の半分くらいまでしか書けなかった。ふと周りを見渡すと紙いっぱいにマスを埋めている子や、裏まで書けている子もいて、みんな何を書いているのだろう、と不思議に思ったものだ。自分は要約は得意だけど、長い文章を書くのは苦手なのかな、と思った。

 

なぜこの時間があるのかを当時は考えたこともなかったけれど、この能力はアウトプットの練習だったのだ。ものすごくうまい文章をひねり出すことよりも、「継続的にある程度の文章を書けること」が重要な場面がある。ライターの仕事を通じてや、人気ブログを読んでいても思う。

 

決してマメではない私であるが、再びここでアウトプットの練習をしたいと思う。文章を書くのは好きだと思っていたけれど、ほかの人が書く圧倒的な内容プラス文字数の連続を見ると、自分は好きとは言えないのかなと思ってしまうが、まずは練習あるのみ。

最後に、当時30人以上の「こころのつぶやき」を毎日読み一言感想を書いてくれた担任の先生に感謝したい。